▲トルコのアナトリア文明博物館にある、ネオヒッタイト時代のレリーフに描かれた、骨のお手玉遊び(写真は元京都大学教授の藤本浩之輔氏提供)お手玉の遊び方は、『振り技』(ゆり玉)といって、何個かのお手玉を手でゆりあげて(上にあげて)遊ぶ方法と『拾い技』(よせ玉)といわれるもので、奇数のお手玉を床にまき、そのうちの(親玉)をゆりあげながら、残りのお手玉を寄せ集めたり、手でつくったトンネルをくぐらせたりする遊び方の大きく二つに分けることができます。
紀元前5世紀にリディア人によって発明され、ギリシャにもたらされた世界最古のお手玉遊び「アストラガリ」はこの「拾い技」だといわれており、羊の距骨(かかとの骨)を使って遊ばれていたようです。その痕跡はヨーロッパなどの多くの博物館で見られます。
羊の距骨を使ったお手玉遊びは、やがてシルクロードを通り、インドや中国にも伝えられましたが、アジアでは羊の距骨のかわりに身近にある小石を使うようになり、「石なご」という遊びになりました。この「石なご」も「拾い技」で、同じような遊びは、東はポリネシア、ミクロネシア、日本にはじまり、韓国、中国、中央アジアを経て、西はヨーロッパ、イギリス、アメリカ、ブラジル、チリへ。南はアフリカ、オーストラリア、北はアラスカ、シベリアへとひろがり、お手玉遊びは道具は異なるものの世界各国で遊ばれるようになっていったのです。
お手玉遊びの歴史には、いくつかの説があります。
紀元前5世紀説
元京都大学教授の藤本浩之輔氏は、お手玉遊びの起源を、次のようにいっています。
「お手玉の遊び方には、『振り技』(投げ玉)と『拾い技』(寄せ玉)の2つの方法がある。『振り技』は、何個かのお手玉を上に投げあげて遊ぶ方法。『拾い技』は、何個かのお手玉を床または地面にばらまいておき、手元にある1個のお手玉(親玉)を上に投げあげている間に、ばらまいたお手玉を1個、2個と取っていったり、手で作った橋の下をくぐらせたりして遊ぶ方法。
紀元前5世紀に、古代アナトリア半島(現在のトルコ)のリディア地方を中心に栄えた国の人たち(リディア人)によって発明され、ギリシャにもたらされた世界最古の遊び『アストラガリ』は、この『拾い技』だったとされている。
そこで使われていたお手玉は、羊の距骨(かかとの骨)だったと伝えられていて、その痕跡は、ヨーロッパなどの多くの博物館で見られる。
羊の距骨を使ったお手玉遊びは、やがて、シルクロードを通り、インドや中国に伝えられた。その過程で羊のいない地方では、身近にある小石を使うようになったと想像できる。
日本で石が使われたことは、お手玉遊びを「石なご」「石なんご」「石なぐ」と呼んでいることからも、うかがい知ることができる。
この遊び方も『拾い技』で、同じような遊びは、東はポリネシア、ミクロネシア、日本、韓国、中国、中央アジアへ。西はヨーロッパ、イギリス、アメリカ、ブラジル、チリへ。南はアフリカ、オーストラリア、北はアラスカ、シベリアへと広がっていった。
お手玉遊びの道具は、各国によって異なるものの、同じ遊び方として世界各国に広がっていった。
*『振り技』『拾い技』という、お手玉遊びの呼び方は、元京都大学教授の藤本浩之輔氏が名付けられたものです。
4千年の歴史説
アメリカのマサチューセッツ工科大学の数学の教授らによる調査では、「お手玉遊びの世界で最も古い記録は4千年前である」と、次のようにいっている。
「お手玉は古くから親しまれている。最古の記述は、およそ紀元前1994年から1781年まで続いた、古代エジプト中王国の時代のハッサン王子の墓に記されている。」
*『およそ紀元前1994年から1781年まで続いた古代エジプト中王国の時代のハッサン王子の墓に、お手玉をして遊んでいる女性が描かれている』と、「日経サイエンス」(1996.1)の「お手玉の科学」で紹介しています。
3千年前の羊の骨
お手玉遊びの道具として使われた道具で、世界で最も古いものは、黒海(こっかい)周辺の遊牧民の遺跡から見つかっている。
それは、羊の後ろ足のかかとの骨(距骨)で、大きさは、1個が親指大のもの。
この羊の骨を使ったお手玉遊びは、現在でも、中国を始め、モンゴル、オーストラリア、ヨーロッパなど10か国を超える国々で行われている。
聖徳太子のお手玉
日本では、聖徳太子が使っていたといわれるお手玉がある。それは水晶でできていて、「石名取り玉」(いしなとりだま)と呼ばれている。
その聖徳太子が使っていた「石名取り玉」は、現在、東京上野の国立法隆寺博物館に保管されている。